呼吸による癒し から
ギャンブルがしたいという要求が心の隅から現れると、五蘊のひとつとしての「心」が明確に感じられる。ふつふつと泡のように湧き上がる欲求、拘りを見つめてみる。
それは喉の奥、胃の入り口の少し上、膨らんだ小さな風船のように感じられ、胃の上部を軽く圧迫する。
ギャンブルがしたいという要求が心の隅から現れると、五蘊のひとつとしての「心」が明確に感じられる。ふつふつと泡のように湧き上がる欲求、拘りを見つめてみる。
それは喉の奥、胃の入り口の少し上、膨らんだ小さな風船のように感じられ、胃の上部を軽く圧迫する。
— 呼吸による癒し
— 呼吸による癒し
すべてのものが感受から始まります。人々が陥りがちな困難な心の状態もすべて感受から始まります。その原初の感覚のより近くに行けば行くほど、より明瞭に見つめることができます。▲小さなことから始めなさい。蚊に刺されたことから自分を解き放ち、どんな風になり得るかみてみようではありませんか。
P92
"— 呼吸による癒し
感受のより大きな世界2
▲その最初の瞬間、明瞭だった感受の直後を執着、嫌悪、あるいは退屈が追いかけてきます。第六感である心から出てくる思考にも、快、不快、中性と言った味わいがあります。身体に気をつけていたときと同じ方法で、心を見つめる助けとして呼吸を使うことができます。それから思考に関していうと、もしも私たちが思考を見守っていないと、本当に手に負えなくなって行きます。驚愕、深い悲しみ、欲情、激怒、深い渇望と言ったあらゆる類の心理的状態に発達して、しばしばそこから生み出される破壊的な行動につながりかねません。
▲仏教が物事を見つめる体系の中では、感受が世界を展開させていきます。私たちは生涯のすべてを費やして良い感受を収集して悪いものを避けようとしています。中性の感受にあたっては思考や空想に耽ってぼんやりしてしまいがちです。
▲問題なのは、私たちがこのプロセスの奴隷となってしまうことです。私たちはいろいろな反応を引き起こすこの感受を詳しく見つめようとしません。感受はムードとなり、感情となり、自分という感じに発展して行きときにそこから良くない行動がもたらされます。
▲ブッダは感受を、この連鎖における切れやすい連結点であると見ていました。もしも私たちが感受をその根元において捕まえて、巧みに感受を見つめる事ができたならば、私たちは不必要な苦しみから自分自身を解放することができます。あらゆる人間の惨めさにつながっていくプロセスを回避することができるのです。
— 呼吸による癒し
感受のより大きな世界
▲感受すなわちヴェーダナーは仏教の教義・修行体系の中で非常に重要なものです。あるとき、ブッダはすべてのものが感受の上で合流すると言ったことがありました。ブッダは感受という言葉を感情という意味合いでは使っていません。仏教体系の中では感情はあとから出てくるものです。この相違を理解することは、実際の修行の上で大きな意味を持ちます。感受という述語は、感覚と呼ばれることがありますが、心を含めた感覚器官のドアを通って入ってくるものすべてを指します。
▲(音や臭いなど)こうした感覚対象のどれひとつを取ってみても、そこには快、不快、あるいは中性のいずれかにあたる、直接的かつ自発的な感受があります。通気口から流れてくる野菜カレーの香りや朝の作業に勤しんでいるモッキンバードの鳴き声は快です。コンクリートミキサーが唸り声を立てながら通り過ぎるのは不快。夏の日を終日鳴き続ける虫の音は中性です。問題となるのは、感受は実際に一日中一瞬一瞬生起しているのに、私たちは必ずしもこれらの感受を意識するとは限らないということです。
▲感情は、この感受に気をつけていないために起こってきます。
— 呼吸による癒し
— 呼吸による癒し
— 呼吸による癒し
— 呼吸による癒し